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自由民主党 滋賀県 第一選挙区支部長

衆議院議員 大岡敏孝 大会顧問

 

    昭和47年4月16日、滋賀県甲賀市の甲賀病院で生まれました。子どものころから好奇心旺盛で、水口幼稚園、土山小学校を卒業しました。

 早稲田大学政治経済学部に進学し、経済と政治を学びました。このころから政治に関心はありましたが、「政治は特別な立場の人がやるもので、自分は企業経営者を目指そう」と考えていました。
 当時、アジア・インド戦略を積極展開し、注目されていたスズキ株式会社(自動車)に入社。国内四輪営業部と海外四輪営業部で勤務しました。このころ若手の市議会議員たちと友人になり、特別な立場ではなくても政治家になれることを知ります。それ以来、政治を良くしないと、日本経済も、国民生活も良くならないとの結論に達し、政治家になりたいという思いが日増しに強くなりました。


 平成10年末に決断して、会社を辞め、浜松市議会議員に初挑戦。会社の経営陣や同期の仲間にも応援していただき、27歳で浜松市議会議員に当選しました。
 市議会議員として一生懸命に活動する中、行政改革への取り組みや市長公約の実施状況について、当時の市長と議会で対立するようになります。若かった私は引く勇気を持てずに、市長選挙に出馬。しかしあえなく14万対8万の大差で敗れてしまいました。

 その後、県議として2期目の仕事に取り組んでいるさなか、ふるさと滋賀県の選挙区で公募があるとの情報が入ります。国政はまさに混乱を極めており、何も決められない、国益も守れないと言う惨憺たる状況でした。「こういう時には若い政治家が動かなければならない。危機に際して行動できなければ、若いうちから議員にしていただいた値打ちがない!」と考え、家族ともども決断し、国政への挑戦に手を挙げました。


 自民党衆議院滋賀1区の支部長としてふるさと滋賀に帰ってきました。子どもたちも新しい学校で新しい友達が出来たようです。私も、これまで育てていただいた浜松の皆さまへの感謝、迎え入れてくださったふるさと滋賀の皆さまへの感謝を胸に刻んで、強くて優しい国・日本を創り上げるべく、人生をかけて政治に打ち込むことをお約束します。

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